活動内容詳細
ACTIVITIES
どのようにして問いを評価するか?〜その3〜
高等教育研究部 教授 池田文人
ここで一度、テスト、あるいは試験とは何かを考えてみます。従来のテストは、受験者に問題あるいは質問を提示し、それに対する受験者の解答あるいは回答を評価します。ここでの評価は、正解を設定し、その正解と受験者の解答あるいは回答とのギャップを点数づけます。正解と一致していれば満点、まったく異なれば0点といった具合です。ところでここでの「正解」とはなんでしょうか?数式や記号を含めた広い意味での「ことば」による解答あるいは回答を評価する場合であれば、「正解」とは「命題」になります。命題とは、「AならばB」あるいは「AはBである」といった、Aという概念とそれとは異なるBという概念を関係づけた表現になります。例えば、「本能寺の変はいつですか?」という問題であれば、正解は「本能寺の変は1582年である」となりますし、「3×3は?」という問題であれば、「3×3ならば9」が答えになります。
このような従来の方法で問いを評価するためには、問いの正解を命題として設定しなければなりません。例えば、「物質が燃焼すると質量は減るという主張に対して疑問に思うことを問いとして挙げなさい」という問題であれば、「燃焼とは酸化反応なので、物質が燃焼すると酸素が付加されてその分の質量が増えるのでは?」という問いを正解として設定する必要があるということです。しかし、このように問いの正解を設定してしまうと、問いの持つ創造性は失われてしまいます。結局この問題であれば、「燃焼とは酸化反応である」という命題を知っているかどうかが評価されているだけであり、問う力が評価されているとは言い難いでしょう。問いの持つ創造性を損なわずに、問いを評価するためには、命題を正解として設定するという従来のテスト方法は使えないということになります。
このような問題の解決に悩み続けていた時に、あの新型コロナが蔓延したのです。その結果、出会ったのが、ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』でした。つまり、知識とは命題と論理でできているという考えを知ったのです。問いの創造性を損なわずに問いを評価するために、命題としての正解を設定できないのであれば、論理の方を正解にすればいいのでは?と考えたのです。すなわち、何らかの命題のもつ矛盾や曖昧さをどれだけ論理的に問うことができるかを評価することができれば、命題に束縛されずに自由に問うことができるため、問いの持つ創造性は担保できると考えたわけです!
しかしながら、論理を問うとはどういうことなのか、そもそも論理とは何なのか、問いを論理によって評価する基準とはどのようなものか、などなど、問いを評価するテストを開発するためにはまだまだ道のりは遠く、やっとそのスタートラインに立ったという状態です。2024年3月末で北海道大学を離れ、新天地に移ります。残りの仕事人生を賭けて、新天地で問う力を評価するテストの開発に取り組みたいと思います。(終わり)